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10/11 「『2001年宇宙の旅』講義」 巽 孝之先生

『2001年宇宙の旅について』                 

 

「2001年宇宙の旅」は映画と小説がほぼ同時並行で製作された。私はこの作品を映画→小説という順番で鑑賞した。

まず映画を観て思ったことは、あっさりしすぎているにもかかわらず観た後に頭が疲れた感覚に陥った。あっさりしすぎているというのはBGMがほとんどないところや色がほとんどないところである。

 

映画というと会話などで表現しなくとも登場人物たちの感情の起伏をBGMで表現したりする。しかしこの作品では生活音だけの場面がある。

たとえば、400年前のヒトザルの時代ではヒトザルの鳴き声や骨を砕く音だけだったり、2001年になってからも宇宙飛行士の呼吸音しかしなかったりとそういった場面がとても新鮮で印象に残った。

 

映像もとてもあっさりしている。宇宙は黒いが宇宙船内やホテルは白を基調としており、途中から登場する人工知能「HAL9000」は赤で表現されている。

さらに登場人物たちは表情を表に出さない。目で観ている映像自体はまったくといっていいほど複雑ではない。

しかしそのあっさりしすぎていることが逆に頭を疲れさせる。自分たちで考えなくてはいけないからだ。BGMや人物の表情がないため感情移入がしづらく、白と黒の映像からは冷たさを感じてしまい、それが余計に映画に入り込みにくくしている気がした。よく言えば観ている側に解釈をゆだねているのだろうが、悪く言えば何を描きたかったのかがわからないまま終わってしまった感覚だ。

一方、小説を読んで思ったことは映画とは逆に濃厚であるということだ。BGMや表情というものはないものの状況説明が細かくされていたり登場人物たちの心情が描かれていたりしているので想像がしやすい。映画→小説の順番も関係しているかもしれないが情報がたくさんあった。特にヒトザルの場面とHALの活動を停止させた後の場面は小説を読んで理解できたという実感がある。そして映画よりも小説のほうが人間の温かみを感じられた。そういう意味では映画のほうがSFらしさというのは表現されている。

 

今回私は映画→小説の順番で鑑賞したが、これが逆であったら小説の情報の多さに頭が混乱していたかもしれない。この作品は映画と小説がお互い補いあっている。両方鑑賞することで理解が深まるのだ。以上のことから「2001年宇宙の旅」の映画と小説を比較して映画はあっさり、小説は濃厚という対比に気づいた。

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